VELT SCROLL

触れるものみな焼き尽くす

ポケモン映画みんなの物語についての所感(ネタバレ有)

今まで見たポケットモンスターの映画とはミュウツーの逆襲、キミにきめた!くらいであり、あまりファンとして語れるような立場ではありません。

 

それでも前年の映画は面白かったし、初代や金銀、ルビー・サファイアまで楽しんでいた思い出もあってまた見たくなってしまったという形になります。

 

そのような立ち位置ではあるのですが、結論から言うととても面白かった。

 

それこそ最初はかなりの速度でフォーカスされる人物が切り替わり入れ替わり、あまりバトルというかポケモンが活躍する場面もなく、サトシ自体も(奇妙な話ですが)”時系列の分からない”サトシであった為、何を主軸にすれば良いのか分かりにくかったのです。

 

そう、私が勝手に抱いていたイメージのポケモン映画とのズレが大きかった。

 

サトシが新しい土地でその世界の主たるポケモンと出会い、戦い、その中で相互理解を経て何かを得て物語が閉じるというフォーマットではなかった。

 

今回に限ってはそのフォーマットをある程度踏襲しつつ、主に四人の登場人物、その各個人がテーマ(問題)を抱え、一つの大災害の中で各々の役割を果たし、そして解決する物語だった。

 

優しすぎる嘘つきの中年

幼さと純粋さを抱える研究者

未だ勇気を持ったことのない女の子

賢く強く寂しい老女

 

彼らの物語が人とポケモンが理解し合うとはどういうことかを重層的に描き出していたのです。

 

私にとってはそれが熱かった。

 

例えば嘘つきの中年は姪を大切に思っていた。

だからこそある種のズル(違法性はない)をしてでも彼女を喜ばせようとした。

しかしあっけなくバレ、結果として失望させてしまったことにショックを受けた。

 

そのままであれば彼は立ち直ることは難しかったかもしれない。

 

以前からそうした調子の良さで失敗を重ねてしまっていたような描写もありましたし

(姪の母親となる実の妹の発言にそうしたものがあった)

失敗を繰り返していた中で慕ってくれた姪まで裏切るような真似になったことに、嘘を付く原因となった彼の優しさまで失ってしまう状態でした。

 

ですが街を覆う大惨事に直面する中で、姪の危機を知り、なんとかしなくてはという焦りに駆られた。そして同時に自信を失った自分に何が出来るのかと彼は歩みを止めかけた…

 

…そこに現れたのはウソッキーでした。

 

彼が姪についてしまった決定的なウソ。

 

ポケモンゲットレースというイベントに他人のポケモンを借り、さらにサポートまで受けながら参加していたという”ズル”、”ウソ”の中で偶然困っているところに出くわして助けてやったウソッキーでした。

 

例えウソをついたとしても、その原因は優しさにあった。

その優しさは紛れもなく彼が誇るべき素晴らしい個性です。

彼が自信にして良い、立派なパーソナリテイでありました。

 

ウソッキーは助けられたその優しさに対し彼を好きになり、彼の窮地に至って自ら彼のポケモンとなることを望みました。

 

その展開はあまりにも人間側に都合が良いものかもしれません。

ある種の醜悪さ(つまりはポケモン・動物側は盲目的、愚鈍なまでに単純だという描写)を孕んではいまいかと疑うことも出来るかもしれません。

 

ただそれを踏まえ、些かポケモン側を単純に描きすぎかもしれないと踏まえてもこのシーンにはかなりグッと来ました。

 

無印アニメのファーストシーズン、ミュウツーの逆襲とキミにきめた!と今回の展開を見ての表現だと前置きさせて頂きたいのですが、私にとってサトシがポケモンから信頼を勝ち取るのは体を張って誠実さを示すシーンが多いという印象なのです。

(このあたりについては膨大なアニメシリーズに劇場版を考えると反証は色々あるかもとは思うのですが、それであればみんなの物語の展開に則って論を進めます)

 

それは彼があくまで少年という立ち位置である以上やむを得ないことではあります。

どんな人間かを示すバックボーンを年齢的に持てない以上は現在において(つまりは肉体言語)しか、信頼を得るための自己開示ができない為です。

 

しかし中年男性というある程度人生経験を積んだ大人であれば苦い思いも多々あるはずであり(描写としてもありましたし)、自信や自分を見失うこともあるかもしれません。

 

しかしそれでも決して消えることのない彼の優しさに触れ、それを再び思い起こさせる役割としてのウソッキーだった。

 

そうした自分を見失ってしまうことも多い中で、誇るべき一面を取り戻させてくれる人や存在があることほど嬉しいことはない。

 

ウソッキーはその優しさと共にありたいと望み、中年男性は自分を取り戻すきっかけをくれた彼と共にありたいと望んだ。

 

これはやはりサトシでは描けないプロセスの相互理解であります。

 

そのドラマ性こそ今回のポケモン映画で受けた一番の魅力でした。

 

その他の登場人物もそれぞれのトラウマをポケモンに支えてもらい、自信とポジティブな意志を取り戻します。ただ立ち位置として私はこの中年男性のパートにもっとも一番心を惹かれ、グッときたのです。

 

…と、あれ、改めて読み返すと少しばかり恥ずかしいことも書いてますが概ねそんな感じでした。

 

サトシはシンプルに信じ抜くこと

少女は同じ苦難に立ち向かうこと

青年は大切なほんのひと押しをもらうこと

老女はいつも側にいてもらったこと

 

それぞれの形でポケモンという不思議な存在との美しい相互理解を果たしました。

それは観客の一人一人にとっても何かしら経験のあるプロセスだと思います。

 

そうした意味でみんなの物語とも言えるのだなーと感じました。

 

もちろんバトルも要所要所でありますし、スピーディで楽しめます。

辛気臭い表現になりがちでしたが、エンタメとしてもとても楽しめます。

おすすめです!